意見特集:RADWIMPS『HINOMARU』の何が問題か①

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「まっすぐさ」が恐ろしい――RADWIMPSHINOMARU」批判

2018年6月
芦原省一

 今月六月六日、RADWIMPSはシングル「カタルシスト」を発表しました。それと同時
にメインソングライターである野田洋次郎氏は、インスタグラムとツイッターで、自
ら作詞・作曲したカップリング曲である「HINOMARU」についてコメントを公表しま
す。「まっすぐに皆さんに届きますように」と。

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 歴史的、政治的な背景もあるのかもしれません。色んな人がいて、色んな考え方が
あります。誰の意思や考え方も排除したくありません。 ……

 僕はだからこそ純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いた
いと思いました。自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています。好きと
言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています。

 まっすぐに皆さんに届きますように。
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 その後、この歌はRADWIMPSファンに受け入れられる一方で、「右翼的だ」「軍歌で
はないか」「皇国史観を思わせる」と多くの人から批判されることになりました。そ
の後、野田氏は一一日に、あらためてツイッターにて釈明文を発表します。

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 この曲は日本の歌です。この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲っ
てきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です。みんなが
一つになれるような歌が作りたかったです。
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 両方の文章で強調されているものは、素朴なナショナリズムとでも言うべきもので
す。私はそれそのものが問題だと考えますが、「誰の意思や考え方も排除したく」な
いという言葉も、「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌い
たい」という気持ちも、野田氏にとっては本心なのでしょう。


RADWIMPSの「まっすぐさ」

 私はこれらの文章、それに「HINOMARU」の歌詞に対して、徹底した無自覚さを感じ
ます。そして人は時に無自覚ゆえに残酷さを発揮するものです。私はRADWIMPS のそ
の「まっすぐさ」が恐ろしいのです。

 別の言葉で言い換えましょう。私は野田氏の言っていることや、「HlNOMARU」の歌
詞は問題だと考えています。しかし、より問題なのは、野田氏が言っているにもかか
わらず気付いてないことや、「HlNOMARU」の歌詞に含まれているにもかかわらず見過
ごされていることなのです。


 野田氏は「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたい」
と言います。そこから感じ取れるのは、かれが「HINOMARU」という曲を、なにかしら
自然なもの、価値中立的なものだと考えているということです。

 また、ツイッターなどを見ると、「HINOMARU」及び「日の丸」に抵抗を感じないど
ころか、ごく自然なものとして肯定的に受け止めている人が多いようです。

 怖いな、と思います。野田氏、そしてRADWIMPSファンの人々は、二つのことを忘れ
てしまっていると思います。一つは日の丸の持つ歴史的な意味です。もう一つは、
「普通の日本人」ではない人々の存在です。そのことが怖いのです。


● 多数派には名前がないこと

 それらの点を考える前に、まずは野田氏と「HINOMARU」を支持するRADWIMPSファン
の意識について、考えてみたいと思います。

 なぜ、かれらは、それなりの人々が問題ありと考えているものを、まるで無色透明
で、価値中立的なものであるかのように、受け入れてしまえるのでしょうか?

 そのことを分析するには、「多数派には名前がない」という次の文章が参考になり
ます。

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 国家において、「民族」を意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別
制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を意識させるのだ。……

 多数派は、名前をつける側である。そして、多数派は名前をもたない。多数派は、
名前をつけられるのをいやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえしやって
いることなのにだ。

 民族は社会的に、歴史的につくられたものだといえば、自分たちはこれまでどお
り、名前のない「だれでもない個人(ノーバディ)」でいられる。無徴(むちょう)
でいられる。
http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090509/1241874455
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 ここで述べられていることを、私なりに要約します。マジョリティはマイノリティ
との相関関係において、マジョリティである。ところが、マジョリティはマジョリ
ティであるがゆえに、そうとは意識しないまま自らが無色透明で標準的な存在である
かのように振る舞える。

 一方でマイノリティには、名前が付けられる。そして印のついていないマジョリ
ティと、印の付いたマイノリティがあるかのように、社会が構成されてしまう……と
いったところです。

 これは、「HINOMARU」(や日の丸)、愛国心、国家などを当たり前のものだとみな
し、そのことは普通のことであると考えて、疑ってもみない人々の意識を説明するも
のでもあるかと思います。


● 日の丸の歴史的な意味

 次に、日の丸の歴史的な意味について、考えてみたいと思います。

 「HINOMARU」という曲は、少なくとも積極的には戦前や軍国主義を褒め称えたり、
他民族を貶めたりはしていないじゃないか、と言う人もいるかと思います。

 RADWIMPSの「HINOMARU」を念頭に置いたかどうかは不明ですが、そのような考え
を、まさしく言い当てたかのようなツイートがありました。

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push(@pushbgbg)
 日の丸はナショナリズムの象徴であるだけでなく、植民地主義レイシズムの記号
としての役割を持っているのに、「ナショナリズムなだけ」と偽装できることになっ
ているんですよ。

 この「ナショナリズム以外の捨象」を言い換えると「まっすぐ」「素直」「正直」
と表現されるわけです。
https://twitter.com/pushbgbg/status/1005126640949592064
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 上の文章を私的に言い換えると、さしずめ次のようになります。日の丸が意味する
ものは、単に日本国や日本国民だけでもなく、ナショナリズムだけでもない。それは
植民地支配と侵略戦争の象徴であり、他民族蔑視の象徴である、と。


 日本の過去については多くを言うまでもないでしょう。――少なくともそう信じた
いものです。

 過去日本は、朝鮮半島を「併合」して植民地支配を行い、土地から労働力まで徹底
して収奪しました。「併合」というのは当時の官僚が作った造語です。また、アジ
ア・太平洋戦争においては、海外で二〇〇〇万人を殺し、日本人も三〇〇万人が死に
ました。しかも海外の犠牲者の多くは、アジアの人々でした。

 栗原貞子の詩にあるように、日の丸は「日の丸の赤はじんみんの血/白地の白はじ
んみんの骨」と言うべき旗なのです。「まっすぐ」な意味だけを取り出して、そうし
た歴史的な意味まで無視するわけにはいかないはずです。


● 歴史の忘却について

 とはいえ、歴史の忘却(ないしは捨象)が起きていることは認めざるを得ません。
どうしてそのようなことが起きうるのでしょうか?

 その基礎としては、戦前から戦後になって、日本は平和国家になったという思考が
あると思います。私はそれをリセット思考と呼んでいます。確かに、憲法をはじめと
して変わったものもありますが、戦前から戦後へと引き継がれたものも多いのです。
天皇制、日の丸、君が代などがその代表です。

 終戦後しばらくは、天皇制についても、日の丸や君が代についても議論があり、裕
仁は退位すべきだとか、日の丸に変わる新たな国旗を制定しようという意見がありま
した。

 それに、一九九九年まで、日の丸は正式な日本の国旗ではありませんでした。その
年、他の悪法とともに、国旗国歌法が制定されたのです。その年に生まれた人は来年
二〇一九年に二〇歳になります。一九九九年に一〇歳の人なら三〇歳です。


 いわば、それが権力のやり口なのです。取るべき責任を取らず、既成事実化し、や
がて人々が、自然なものとして受け取るのを待っているのです。天皇制・日の丸・君
が代といった大日本帝国を支えた装置は、戦後もそのまま生き延びました。そして生
き延びることによって、既成事実となってしまいました。

 それは、世代を超えて洗脳しているようなものです。国家は世代が変わることを歓
迎しています。ある世代ではまだしも問題とされていたものが、次の世代や次の次の
世代では、自明視されて問題視されなくなっていくというわけです。

 つまるところ、私たちは実際には、戦争責任の追求が徹底していない社会に住んで
いるのに、それに慣らされてしまっているのです。


● 「普通の日本人」以外の存在

 以上は、歴史の忘却についての話でしたが、野田氏が忘れていることがもう一つあ
ります。それは現在日本に居住する「普通の日本人」以外の人々のことです。

 当たり前のことですが、「大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきて
も、どんなことがあろうと」影響を受けるのは、日本人だけではありません。政治に
ついてもそうです。野田氏は歴史を忘却しているのみならず、現在生きている人々も
忘却しています。

 野田氏は、「日本人の歌」「みんなが一つになれるような歌」を作りたかったのだ
と言います。しかし、私のような人々はそこに含まれていません。


 さて、ここで少しばかり、自分のことを話さねばならなくなったようです。

 私の祖父は朝鮮半島からやってきました。そして、父方の一族は私が生まれる前に
日本国籍を取得したので、私は「日本籍在日朝鮮人」ないしは「朝鮮系日本人」とし
て生まれました。

 そんな私にとって、いくら日本で生まれて日本で育ったとはいえ、「日の丸」は自
分の旗ではないと感じます。いいえ、それどころか恐怖感を感じると言ってもいいく
らいです。より正確に言うのならば、日の丸の下に一体となった「普通の日本人」た
ちが怖いのです。


 少し変わった話をしましょう。地震が起きたある時のことです。震度そのものはさ
ほどでもなかったにもかかわらず、その時私の父の狼狽ぶりは異常でした。余震に備
えてとにかく安全な場所にいよう、という家族の者の言葉も耳に貸さず、無言なまま
自転車でふらふらと出かけたのです。

 今にして思えば、父は「何か」が起きてやしないか、見回りに行ったのだと思いま
す。関東大震災後に朝鮮人虐殺が起こったのは、よく知られた事実です。今でも地震
が起きると流言飛語が飛び交います。そのような「何か」です。父はそういうことを
非常に気にする性質でした。


 朝鮮半島にルーツを持つ人が、みな私と同じように感じるわけではないでしょう。
しかし、私は日の丸の下に一体となった「普通の日本人」たちに、自分は含まれてい
ないと感じるし、それどころか自らの存在が脅かされるかのような恐怖を感じます。

 その旗は、私のような人々を支配し、殺し、犯してきた時に、はためいていた歌な
のです。今でもデモを襲撃する右翼やレイシストが掲げる旗です。そしていまだに、
私のような人々は、何かが起きれば殺される側にいるのです。


● 「日本人」としての責任

 上でも述べたように、私は朝鮮人であるとともに、日本人でもあるという複雑なあ
り方をしています。そのことについてもお話しすべきでしょう。

 つい最近たまたま知ったのですが、小説家の柳美里氏は、芥川賞を受賞した際に、
「私は、日本人でも韓国人でもありません」と言ったそうです。また、同じく小説家
の温又柔氏も、日本人と台湾人の間で揺れるアイデンティティについて、語っていま
す。なお両氏の小説に対する評価はさておきます。

 このような曖昧なアイデンティティのあり方は、語るのが難しいものです。しか
し、敢えて端的に述べるのならば、日本国には「普通の日本人」だけではなく、様々
なルーツを持った人々がいる、ということになるかと思います。

 さて、先ほど、日本は戦争責任の追及が徹底していない社会だ、ということを書き
ました。私の中には日本人の部分と朝鮮人の部分があります。そして、どちらかが一
〇〇パーセントを占めるということは、生涯を通してないでしょう。

 そして、日本人であるという部分において、私は決着の付いていない歴史的な責任
を果たす義務を感じています。つまるところは、日本人としても朝鮮人としても、日
の丸・君が代天皇制といった、残置された帝国主義の装置をなくしたいし、そのよ
うな平等な世の中にしたいのです。


● 結語

 以上、「HINOMARU」の問題点を私なりに指摘しました。

 この曲の持つ「まっすぐさ」が、日本社会のマジョリティであるがゆえの無色透明
さの上にあることを考えてほしいと思います。また、そのような無自覚さは、時間的
には歴史の忘却につながり、空間的には「普通の日本人」以外の人々の忘却につな
がっていることに気づいてほしいと思います。

 そのためには記憶すること、そして想像することが重要になります。日の丸の持つ
意味から一部だけを取り出して、後は忘れるというわけにはいかないし、日の丸を
「普通の日本人」とは異なる目で見ている人々もまた、この国の住人なのですから。
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以上です。